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-生活と文化をメモる こころのブログ-
2011.03.27 Sun
今年は、都合あって2か月ぶりの一時帰国をする。

3月11日の大震災から2週間目の東京、渋谷。
ハチ公前の桜は、今年も華やかに満開を見せる。
地下鉄やデパートなど照明が薄暗いものの、街やレストランは人で賑わっている。
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住宅地の桜。
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一見平穏な日常に見えるけど、震度5強の地震がこの東京にも起きて、数日前まで食料や生活用品の買いだめなど混乱があった。満開の桜は、何気なく過ごしていた日々を思わせ、同時に自然の計り知れない力をこれでもかと見せつけているようでもあって。。
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2011.03.20 Sun
ペンa caneta
鉛筆 a lápis
シャープペン a lapiseira
マーカー  a marcador
ノートo caderno
手帳     a agenda
紙 o papel
メモ用紙  o papel de nota
消しゴムa borracha
はさみa tesoura
カッター o estilete
定規  a régua
のりa cola
セロテープ a fita adesiva
ホッチキス o grampeador
ホッチキスの芯  o grampo
クリップ o clipe
輪ゴムo elastico
封筒  o envelope
計算機  a calculadora
                      
                                                       
2011.03.12 Sat
パラナ州のロンドリーナからバスで8時間半、友人の住むマット・グロッソ・ド・スル州の州都カンポグランジ市を訪ねる。
ここは、沖縄出身の日本移民が多く、その証といえるのが“沖縄そば”。カンポグランジでは、沖縄そばを原型とする“SOBÁ”がブラジル人・日系人分け隔てなく普及していて、今ではブラジル人の方が消費量が多いという。

友人宅でご馳走になった家庭の“SOBÁ”。
沖縄本島の沖縄そばが変化し、刻み卵やネギを山盛り添えるのが一般的。
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この機会に、ブラジルの“SOBÁ”の歴史を調べてみる。

カンポグランジのSOBÁの歴史
 カンポグランジで沖縄そばを最初に売り出したのは、名護市出身の勝連ひろしさん(2010年逝去)。中央市場で働いていた勝連さんは、1966 年、故郷・沖縄の味を思い出し、屋台で作るようになった。最初は、箸を使って音を立てながら食べることに恥ずかしさを感じ、屋台の垂れ幕の陰に隠れるように日本人のみに提供していたが、そのうち、ブラジル人の間でも評判となり、以降、エスペチーニョ(牛肉の串焼き)やマンジオッカ、ドブラジーニャ(モツと白豆の煮込み)などブラジル屋台料理に混じって、沖縄そばも売られるようになった。
 現在、市場には、食堂や雑貨売り場、食品店など約350店舗ある中で、ソバ屋台(sobaria)が約30軒。2006年より 年に1度「ソバ祭り」が開催され、2009年には市場の入り口に巨大モニュメントが設置された。



現在の中央市場(Feira Central)
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2011.03.10 Thu
パラナ州第二の都市ロンドリーナから約45km、Assai市へ行く。
もとは Três Barrasと呼ばれていたこの地域は、1930年頃、日本移民によって開拓され「旭」と命名された。日本が敵国となった戦争中、アルファベット表記Asahiがポルトガル語の発音にあわせた「Assai」に統一され、今に至っている。
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坂が多い田舎町。
今でも日本移民一世+その子孫からなる日系人が約3,000人住んでいるという。
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FUKUNAGA葬儀店
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アサイ照真寺。小さいながらも立派な鐘楼もあるお寺。
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このブラジル内陸の田舎町で、日本の精神を感じる。
日本の心を思い出す。
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